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しきたりを重んじて辛かったこと

こんにちは!安田朱里です。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

わたしは、父の四十九日まで毎週法要で週に一度は金沢へ帰省しています。
合間に兼六園へ桜を見に行ったり。

金沢城の桜はきれいです。

兼六園も無料開放されていました。

兼六園、癒されます★
自分の地元ですが、私は観光客の一人としてこれも食べました!

そして実家では毎週、父の週命日に合わせて御経様をあげてもらってます。
私の実家は、祖父母や曽祖父母の月命日にお寺さんを呼んで、お経をあげる習慣を70年以上に渡って続けている家なので、ご先祖様の意思を受け継ぐという意味でいうと、これを止めることはできないので、今は実家で叔母がそれをやっています。

けど、私はそういった古いしきたりの多い実家に幼い頃から縛られて、結婚も自分の自由がないと思って育ってきました。

安田の本家への養女話や、結婚はお婿さんに来てもらえる人以外はダメだと呪文のように言われていたのは、ともに4-5歳からずっとです。

実際に過去に彼氏を実家に連れていった時も、まず聞かれたのは家柄と長男なのかどうか。
長男の方だったので「長男はダメやわ、婿に来てもらえんもん・・・」と言われ、二度と連れてこないでおこうと思ったことを思い出します。

確かに曽祖父の時代は、かなり裕福で名家だったようですし、本家は私の家の5倍以上の敷地ですごいです。

でも、私の家は分家で可も不可もなく、ごく普通の家です。
それどころか、実際のところ父は事業を止めた時に借金持ってましたよ(笑

そんな家に名前を残すための跡継ぎなんて、なんで必要なのか?と、ずっとずっと思っていました。

父は、祖母が私にそのような養女話や跡継ぎのことを言っていたことを一切知らないし、父はどちらかというと現代的な人なので、「家を継ぐ」というようなことに強い拘りもないので、祖母が亡くなった10年前、亡くなる寸前に『もういいよ』と言われるまで、結婚相手を自由に選ぶことを許されていなかったことを伝えると、とても驚いて、「そんな必要はないし自由にしたら良い」と言われ、ようやく縛りから解き放たれたと思ったのです。しかし、それはたった10年前だし、死ぬ間際まで、祖母はそこに拘っていたのか。。。と再認識する機会にもなっていました。

本音を言うと、信仰は大事なことだけど、古いしきたりはどこかで終わりにしたい。

東京にいて物理的にも月命日をしてあげることもできないし。
なので、四十九日までのお経様だけはきちんとしてあげて、それ以降は、私の心の中で父とつながりを持ちたいと思っています。

そして、幼い頃から『結婚=家のため』という思いを植え付けられていて、それはヒーラーとなり、ヒーリングを日々やっている今でも、まだ、結婚というものに向きあうことはできていません。

私がいつの日か、結婚報告をしたり、結婚のことを語りだしたら、私の幼い頃のトラウマが一つ取れかかった、取れたと思ってください★

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